吉野屋の古川義子さん逝く
吉野耕一・静子
在りし日の古川義子さん
古川義子さんが1月19日土曜日午後亡くなられました。車内で背中の痛みを訴えた直後身体が硬直し、救急車でMGHへ運ばれましたが到着前後に亡くなられました。腹部動脈の破裂のようでした。
1月24日木曜日正午からCambridge の Mount Auburn 墓地の教会で追悼式が行われました。短時間の通知にも関わらず沢山のお花と130名位の参会者が義子さんと最後のお別れをしました。参加者が次々と義子さんの想い出を述べられ、最後に全員で「ふるさと」を合唱して式を終わりました。
1961年秋 Cambridge の Central Square に日本食料品店吉野屋を開店させ、以後在ボストンの日本人の支えとなってきました。特に在ボストン総領事館が出来る前は私設領事のように不慣れな日本からの方々のお世話をされました。アメリカ人と結婚されて不慣れな環境の中で苦労され、日本語、文化と長い間閉ざされた生活を送って来られた方々の息抜きの場となりました。
吉野家は順調に発展し、有名なボストン沖で穫れる本鮪の日本への輸出に成功されました。在ボストン日本人にとっては鮪の値段の高騰へと跳ね返りましたが、日本での高級ボストン鮪の進出となりました。その後、日本料理店「将軍」等チェーン店を開かれましたが、後に店の運営を巡って義子さんの足かせになりました。
ボストン日本人会の中に婦人部の発足に努力され、1年間の準備期間の後、1992年に正式に発足し現在に至っています。発足直後アメリカ人と結婚され、高齢になった方々のために婦人部の中に「いこいの場」を作り、吉野屋内に部屋を提供され、毎月親睦の会を開いていました。「いこいの場」は現在まで続き、日本ボストン会のお花見に参加する日本訪問の旅行にも参加されました。婦人部の活躍は1999年総領事から表彰され、後に2004年の古川義子への外務大臣賞となりました。
残念なことに、晩年多額の借金を抱えることになりました。吉野屋以外の店、食堂を手放すことでの生き残り策も裏切られ、住宅を含めて全てを失われました。数人の友人の応援で再起を企画していた矢先に永遠の旅人になってしまわれました。
合掌
古川義子追悼会
12:00〜12:30 義子さんとのお別れ
12:45〜14:00 義子さんの想い出
(司会) 吉野耕一
堀内実 初代日本人会会長
吉野静子 日本人会婦人部
岩佐仁子 婦人部いこいの場
鈴木庸一 領事館
松浦央倫 吉野屋
久保田康夫 日本人会会長
Shadi Jalld 友人
青柳哲 友人
14:15〜 全員で合唱
お別れの歌 「ふるさと」
Sumi Scott とハーモニカグループ
14:25〜 黙祷、解散
広報より
このエッセイは日本ボストン会会報
The Boston Association of Japan #31
平成20(2008)年3月5日発行に掲載されました。