ボストン日本人会婦人部は「ボストンへようこそ」、料理本「る・る・る」の制作、様々なイベントやサークル活動の企画、運営などを通して、みなさんの親睦を図る事を目的として活動しています。「婦人部」という名前ですが、ボランテイア精神にみちた部員が男女を問わず活動しております.様々な世代を超えて、ニューイングランドに暮らす人々のネットワークを広げていけたら楽しいと思いませんか?
婦人部発足当時の思い出
婦人部初代部長 吉野静子
そもそも婦人部発足の話が出たのは,私の夫、吉野耕一が1991年に日本人会会長になった時の事だった。それ以前の日本人会では,役員の奥様方が新年会などの諸行事の手伝いをしていた。時の気運だったのであろうが、会員数も徐々に増えて来ていた。当時のセクレタリーのジャメンツ登美子さんと意気投合し,これからは,日本人会へのサポートは必要な時にすぐ動けるような婦人部をつくることだという事になった。まず,当時の日本人会役員の奥様方に声をかけて,趣旨に賛同していただき,早速婦人部設立準備委員会をつくって準備を始めた。その後まもなく,日本人会から“秋祭り”への参加の話があり,衆議一決、企画の段階から全面協力することにした。それがきっかけとなって”秋祭り”のバザールで売るための物を作るクラフト部が誕生し,婦人部の土台ができあがった。それと前後して,ハーバード大学で日本語を学んでいる学生を対象とした”里親グループ",又,ロクスベリーの小学校でのボランテイア活動のグループが生まれた。
“秋祭り”での活躍が認められ、1991年最終の日本人会役員会で婦人部が承認され、1992年の新年会から正式に発足した。それまでの準備委員会がそのまま役員会となり,推されていた私が初代部長になって1995年の新年会までその役を勤めさせて頂いた。発足早々から,次々とグループが誕生した。なかでも、子供の授業中に,ボストン日本語学校の教室を借りて,母親のための英会話教室、エクササイズクラス、3歳児以下のプレイグループを行い,それによって若いお母様方と親しく交流する機会を得たのは,大きな収穫だった。そのお陰で年末には,お母様方にもお手伝いしていただいて、ユニセフのカードを販売し大きな成果をあげた。
思い出がたくさんありすぎて,紙面がたりないが、多くの方々の善意と協力のお陰で婦人部財政の基礎となった“ボストンへようこそ” や "るるる” を発行できたこと、日本協会とタイアップしてお料理教室を開いたこと、皇太子妃雅子さまの出身地ベルモントの婦人会と一緒に御成婚の当日ベルモント高校で祝賀会を催せたこと,ボストンシンフォニーの指揮者小沢征爾さんのデイレクター就任20周年のお祝いをフレンドの会と一緒に持てたことなど,皆さんと共に充実した3年間であった。
ボストン日本人会婦人部10年のあゆみ より